海外

旅行・旅・ボランティア・海外青年協力隊・・・昔と違い海外へ行く理由も様々。

叔父が渡米したときには、日本円で1$300円以上の時代。

今は、その叔父世代のお陰もあり、

一般庶民も自由に海外へ行くことができる。

それこそ、お小遣い程度でも行けてしまう。

最近は、日本に旅行に来る中国人をよく見かけるようになった。

中国政府が、国民に海外旅行の許可をだしたのも

ここ20年も経っていないというけど、

先進国の辿った道を、後進国の人たちが歩んでいく。

生活スタイルだけでなく、物質社会が中心だから

溢れる問題も、日本が経験してきたことばかり。


どこまでいくのだろう。

いつまでつづくのだろう。



中国やインドの人口だけをみても需要は多いのだろうけど、

有限の中の需要で、またその代償も大きくなる。

後進国がもつ悩みも、先進国がもつ現代の悩みへと

シフトしていくのだろう・・・


そして、若者たちの海外に対する憧れは終わらない。

今の若者が海外に求めるものは何だろう。

かくいう私も、20代半ばに生きることに限界を感じ、

というより、仕事の限界もあり海外へ出た(半分は逃避)。

憧れも確かにあったけど、自分の存在意義をつくりたかった。

誰かとは違うことをしたかった。希望をみつけたかった。

当時は、ただ海外に行くことだけでも価値があったはずなのに、

今は、海外に行くだけでなく、さらにそこで何をしてきたのか、

付加価値がないと、ほかの人との差がつくれず、

多くの海外経験者の中に埋もれてしまう。


海外での体験・経験を活かすこともできるだろうけど、

世の中の全体像が見れない中では、根本的な解決には至らないはず。

結局、部分的解決にとどまって、次から次へと同じような問題は溢れてくる。

船の底に空いた穴を見つけることもできず、

ただ溢れる水をくみ出すだけで一緒に沈んでしまうようなものだ。


お互いに多様な価値観をぶつけても、根本的な解決には至らない。

それは、個人個人の環境によってつくられた価値観。

違って当たり前。

その違いまでも超えていくことができないと、解決はできないはず


結果を追うより、根本原因を知ること。


それが、全ての問題に共通する答えでもある。

答えはとてもシンプルだ。

ただ、それを観る観点を持ち得るかどうかということだけ。

人間の無限の可能性は今ここにあるのに、

人々はそれを観ることができず、

自分の外にそれを求め探そうとする。


灯台下暗し。


海外に行く目的は何なのか。
自分探しは、外に探すのではなく
中にあることに気づくこと。

すべては自分の中にある。

137億年の歴史そのものが、あなたと共にあることに
ただ出会うだけなのだから。