ICHIROの引退で観たもの

こんにちは!ライフスタイルコンサルタントの、目黒真由子です。

 

イチローが、45歳で引退しましたね。

日本で活躍していた頃には、目にしていましたが、海外での活躍はほとんど知らず。

ただ、すごい人だなぁという思いだけはありました。

けれど、本当にすごい人だ!と

引退後に知ったことで、

私の心は大きく揺さぶられました。

 

今回は、イチローのことについて、書いてみたいなと思います。

 

現代のサムライ

 

アメリカでもそう言われていたようですが、

日本人でも、侍と一言で言っても

いろんなイメージがありますよね。

私も、野球のことはよく知らないし、

侍と言っても、リアルには知らない。

武士道に書かれている侍のイメージもありますが、

私の視点でざっくり観ても、ほんとにサムライのようなひとだと感じるのです。

 

どこがサムライのようなのか。

 

彼の独特の思考感覚、問答のようなコミュニケーションをとると、アメリカのメディアでも言われていたようですが、まさにそれが

イチロー流のスタイル・道へと繋がっていると感じるのです。

彼にもスランプがあり、それらを乗り越えていく中でも、問答があったように感じます。

なぜ打てないのか?

どうすれば打てるのか?

それこそ、数多の課題を彼自身の中で

繰り返してきたのだと思います。

そしてそれを、自らを道具に実践してきた。

それに、必要だと感じたものは全部やる。

練習のスタイルも、

まるで侍が、剣を使って鍛錬を

繰り返しているようにもみえる。

剣と自身が一体化する感覚。

そして、侍が剣を自分の命以上に扱ってきたように、イチローもバットやグローブを

とても大切に扱ってきたという。

道具に命が宿る瞬間。

彼のプレーには、その感覚を思い起こさせてくれる。

 

柔軟性とバランス

 

強さとは何か。

イチローの中の強さとは、

柔軟性とバランスだと答えていた。

たしかに、彼は柔軟性を強化するトレーニングを重ねていたし、守備でもつねに身体を動かしていた。

 

私なりの解釈になってしまうけれど、

身体の機能を最大限に使うとき、

その個体である身体だけを使っているようでいて、実は身体の外の力も使っている。

マウンドを踏む力ひとつ取っても、

どれだけ踏み込めるかで、反作用として返ってくる力も違う。

軸という観点でみたときには、人には軸がある。背骨・脊椎が中心になるといえば分かりやすいと思うけれど、

その軸が、他の全ての軸としっかりと連動するかどうか。

背骨が究極のバランスを保てるのは、

柔軟性にあると思うし、

柔軟性があるからこそバランスを保てる。

 

もしかしたらイチローは、

作用反作用以上の、外の力を取り入れ

それをエネルギーとして最大限に使うことを

無意識にやっていたのかもしれない。

 

ずば抜けた集中力

 

イチローの集中力は、

まるで、侍が剣を合わせるときのようだ。

自分が消えるほどの集中力で、

場がピーンと張った状態になる。

打席に入ったときの、彼流の儀式が

それなのかと思わせるほどだ。

 

集中力も、日々の習慣で培われるもの。

現代人に、いきなり集中してと言われても、なかなか難しい。

集中と言っても、深さや段階があるはずで、

イチローの集中力は、到達するのが

簡単ではない領域だとおもうのです。

侍が剣を合わせた瞬間、生きるか死ぬかの

戦いになることは、

大前提当たり前のことですよね。

だけど、侍の戦いに不安や恐怖・我があると

最初から勝負は負け。

 

それに近いほどの、セッテイングを

イチローはしてきたのだと感じるのです。

なぜなら、あれだけの歴代記録を出してきたことが、それを象徴していると思う。

毎瞬間が本気。次はない。

死が負けを意味するほどの勝負を、

毎瞬やり遂げた。

 

だから、彼がある。

 

人種をも超えて、人々の心を振動させる

イチローの姿勢態度は、

まだここにはっきりと侍がいた!と

思わせてくれる。

 

侍は、刀を持って…

そういう五感覚で見えるものではなく、

それを超えたところに

あると言える。

 

誰でも

その超えた領域から

自身を立て直すことのできる

可能性が詰まっている。

 

イチローを通して、それを魅せてもらった

気がした。