他力本願は 実はチームプレイ②

続きを書くのを忘れそうになりながら・・・

ようやく戻ってきました。

 

こんにちは!ライフスタイルコンサルタントの、目黒真由子です。

 

それぞれの個性を、得意・不得意も認めて共有すれば、

それぞれの個性も活かしあえるチームプレイができる。

完璧な人間なんていない。

競争もジャッジメントもエネルギーの無駄。

 

他人依存・人任せと言う意味合いではなくて、

他力本願は、実はチームプレイで成り立つのではないかと言う

勝手な私のイメージですね。

その次にも、2段階目があるよってお話です。

 

個人主義により失ったもの

日本も明治維新後、西洋文化を受け入れつつ

次第に個人主義のスタイルをとるようになりました。

もともとは集団で生きる社会だったので、

諸説ありますが、個人主義の反対の意味を示す

全体主義だったと言えますね。

 

神道の日本では、八百万の神がいるという多神教の国。

西洋の文化や思想を受け入れていく中で、

どんどん神道の意識も薄れ、日本の精神性は

西洋化したともいえます。

その歪みが今の日本の社会問題になっている自殺や鬱に

つながっているのでしょうか。

 

以前の日本は、個人も社会も全てが神とつながり

自然のみならず、物質にも神が宿るとして

すべてのものに畏敬の念を持ち、感謝し日々を生きてきました。

常に神や仏の存在を認め、己にも神が宿るとし

無意識的にも「他力本願」を使っていたのだと思います。

 

すべての存在を、存在と認識すると同時に

神としての見えないものも同時に認識する。

その神を受け入れ、自分の中に取り込み

外の力を無意識に使っていたのです。

 

個人主義によって、分離意識が強くなり、

資本主義の中で、物質的な欲求を満たしても、

一向に満たされない”何か”がある。

 

それを満たそうとしてもがいてきた中で、

ようやく一部の日本人も気づきはじめ

何かを取り戻そうとしているように思います。

 

不調和

西洋人のように、個人の意見や思想をぶつけ合う

ディスカッションの習慣もなく、

建前文化で本音を話せず、自分が何を感じ考えているのかも

わからないという人が少なくない。

ある意味歪んだ形で、調和を重んじてきた日本。

 

今、調和・和を大事にしてきた日本人が、不調和に気づき、

新たな方向性を見出していく時だと思います。

 

そのための「他力本願」でもある。

 

不調和に気づいても、結局はどうしていいのかわからない状態が

多いと思います。

例えば仕事をやめて、環境を変えてみても、

また次の不調和と出会う。

 

自分の不調和を客観的に観る道具がないんですよね。

鏡がなければ、自分も見えないように、

その鏡を持っていない。

 

鏡という道具は、本当はみんな持っているけど、

持っていることすら忘れてしまった。

 

その道具を取り戻すことができるのが、nTechというスキルでもあり、

技術でもある。

でも使わなければ意味がない。

 

すべての存在ともう一度チームプレイできる道がある。

何が・なぜ・どうやって・どんな仕組みで?

すべてを納得した上でもう一度再スタートを切れる。

 

個人だけでなく、みんなにその道を選択する自由が

与えられているのだと思います。