決めつけ

決めつけられるって

居心地悪い。
 
決めつけてもらうほうが
楽なこともあるかもしれないけど、
それは時と場合による。
 
あなたってどんな人?って
聞かれたら、どう答えますか?
 
几帳面とか、新し物好きとか
神経質とか、大雑把とか
リーダーに向いてるとか…
 
それで、何を決めつけられるのだろう。
 
極端に言えば、
大雑把は几帳面にはなれないもの?
 
自分が思う自分って、
自分が持ってる基準からみてる自分。
誰かが見れば、またその人の基準で
みてる。
 
リーダーっていうイメージも違う。
そもそも、それぞれの基準が、
観点が違う。
 
人を可能性で見たときに、
今はリーダーとして未熟であっても
必ずリーダーとしての
意思もあり方も育つはず。
 
リーダーに向いてないってなれば、
チャレンジさせないの?
 
いつも同じ人たち、
できる人、と見られやすい人たちが
リーダーになるの?
 
いつまで経っても
できない人は出来ないままなの?
 
過去の環境や習慣でつくられた
一部の特性・キャラクターで判断することで、
人の可能性を阻むこと、
決めつけることはもう
終わりにしたい。
 
アイデンティティは自由自在。
 
大きく、変化進化し続けている
自分を、みんなを、
固定させたくはない。
 
久々に、嫌気がさした。
ひどく不快で
答えたくもない感覚。
いや、答えられるはずもない。
 
その時は、すぐに伝えられなかった。
違和感を言語化させるのに
時間を少し要した。
 
観点しかない。
 
観点を知れば、可能性が
無限にあることを理解する。
 
観点が、世界を変える。
観点が、時代を変える。
観点が、人間を進化させる。