宿命?! 両親の出会いから生まれた私(幼少編)

いよいよ自己紹介を通して、

目黒真由子の長編映画がスタートします!

みなさま、気長にお付き合いくださいませ。

 

両親のお見合い

父は、四人男兄弟の次男で、戦前生まれ。

大阪で育ち、何を理由になのか詳しくは知らないけれど、

親戚の叔父に、更生するために一定期間預けられたことがあると聞いた。

技術系の専門大学に進み、鉄鋼関係の職に就く。

趣味は、囲碁と書道。

書道をしている姿は見たことがないけれど、

囲碁は毎週のようにテレビを見ていたのを覚えている。

 

母は、四人兄弟の長女で、戦後生まれ。

滋賀で育ち、集団就職で大阪へ。

25歳で父とお見合い結婚するが、

祖父からその話がきた時に、頑として受け入れなかったそう。

けれど、祖父が結婚しなければ勘当だ!と半ば無理やりに

結婚へ持ち込んだと聞いた。

 

そんな二人が出会い、当時では珍しくもない

お見合い結婚として、父28歳、母25歳は結婚した。

 

その後の結婚生活はもちろんよく知らないけれど、

結婚当初、母は父を毛嫌いしていたそうだ。

 

まずは兄が生まれ、その2年後に私が生まれた。

そしてまたその2年後に妹が生まれた。

 

小さい頃の記憶はほとんどない。

写真も真ん中ということなのか、ほぼなし。

しかし、1歳前までの写真を見る限り

あまり笑いもしない子供だったようだ。

 

いつからか父の暴力が当たり前になる

いつから父の家庭内暴力が始まったのかはよく知らない。

けれど、私たちがかなり小さい頃から始まったようだ。

妹の記憶の中にも、2〜3歳で目覚めた時の

父の暴力現場を記憶しているくらいなので、

その頃にはすでにあったんだと思う。

 

母は専業主婦だったが、当時ノイローゼになりそうだったと

本人は言っていた。

妹を産んでからは、自律神経を崩し、いくつも病院を回ったそう。

食事も取れず、動悸や諸々の症状の中、

家のことは一切しない、育児にも非協力的な父との関係の中で、

3人の育児は相当大変だったろうと思う。

 

幼稚園の記憶

あまり記憶はない。

ただ、年長組の女の先生が怖すぎて、

震え上がっていたのは覚えている。

 

あとは、何をしたのかは覚えていないが、

父に怒られ、家の外に締め出され

ギャン泣きしてたこととか笑

 

父方の実家が土地持ちで、家も建ててくれたので

住む場所には困らなかったが、

結婚当初から貧乏だった。

 

服を買うお金がないので、母は安い布切れを買うか、

自分の服をほどいて、私たちの服を作ってくれた。

お腹を空かせてひもじい思いはしたことがないが、

お菓子は買ってもらえなかった。

 

支払いが滞り、電話・電気を止められ、

母が親戚に頭を下げに行くことはしていたようだ。

 

スーパーでは、子供3人を前に立たせ、

「あと二千円しかないから、何も買われへんからね!」

と、怒りモード全開で怒鳴っていた母は記憶している。

「うちにはお金がないし、貧乏なんや」って

その時から思っていた。