あなたはどうしたい? 自分を主体に②

結婚式は誰のため?

結婚式をしたいのかしたくないのか?

この問いに、すぐに心は反応しないわけです。

したい・・・と思うけど、でもあれやこれやと

しないほうがいい理由が頭に浮かぶ。

ん〜わからない、したほうがいいのかな〜と、

したいかしたくないかではなく、

したほうが良いのか悪いのかに

考えの方向性が向かう。

 

今までも、もちろん自分のしたいことはありました。

でもそれは、看護師になるとか、海外に行って英語を学ぶとか、

私一人がしたい領域でのしたいことはありましたし、

それを実行してきました。

周りを巻き込んで、何か実行を起こすということがまずなかったのです。

 

私が、もし20〜30歳代で結婚することになっていたら、

また違ったと思います。

結婚式をするかしないかの基準はきっと、

周りが結婚式をしているから、

私たちもしようという選択になっていたと思います。

 

40歳をすぎると、そうはならない。

結婚式をする年齢でもない気がするし、

したとして、周りがどう思うか、それがいいのかわからない・・・

と、選択する基準をどこにおいていいのかわからない。

夫は、男性だし別にしたいわけでもない。

夫を基準にもできないわけで、

自分がまずは夫を巻き込んで、選択しないといけなくなるわけです。

 

今までにやったことがない選択なので、

決まりそうで決まらないところを永遠に行ったり来たりするわけです。

結婚式をするのが良いと言う理由が頭の中でどんどん湧き上がる。

同時に、しないほうが良いと言う理由も

出てくるのです。

 

他人中心で生きてきた人は、それこそ膨大な他人の基準軸の

引き出しをいっぱい持っていて、これかな、あれかなと言い続けるのです。

 

夫に「あなたはどうしたいの?」と質問されても

私???

どうしたいんだろう・・・でてこない。

子供の頃に、無意識で自分がしたいことを抑圧してきたから、

自分の引き出しからサッと、したいことを取り出すことができない。

特に、自分一人だけならまだしも、

周囲を巻き込む結婚式など、選択肢の中には皆無。

 

自問自答の日々が始まります。

「あなたはどうしたいの?」

 

人を巻き込むなんて申し訳ない!

自分だけならいい。責任は自分にある。

けれど、人を巻き込むなんて

こんな私がして良いわけない。

そんな価値は私にはない。

 

そんな、自己価値の低い自分、認められない自分がいた。

 

でも、そこにとことん向き合いました。

なぜそう思ってしまうのか、何を感じるのか。

本当はどうしたかったのか。

 

子供の頃の自分の感情が、顔を出すわけです。

見たくない自分と言えばそうです。

だけど、出会ったし、向き合った。

受け入れて、時には受け入れきれずに

もういいや!って放り出しそうになる。

だけど、これも自分の子供の頃の、すぐに諦める癖。

心の奥底の感情を閉じ込めようとしてしまう。

 

ここに気づかせてくれたのは、夫です。

私一人ではどうにも抜け出せなかったと思います。

「どうしたいの?あなたが!」

「またごまかすの?諦めるの?」

相当ぶつかりましたし、夫からしたら

イライラするわけです。

いつまでも、グチグチ言って、動こうとしない。

 

日本人なら、少なくないと思います。

自分の主張を押し通すより、周りに合わせて

協調性を持つほうがうまくいく。

 

だけど、自分の人生です。

自分は何がしたいのか、どうしたいのか。

まずは、それが明確になって

自分という私を表現できること。

エネルギーが自分の中でまっすぐ通ること。

それが、人生の道をかたちづくっていくのだと思います。

 

まだ続きます♪