フリをし続けた人生が終わる 二重人格編①

こんにちは!認識コンサルタントの目黒真由子です。

 

またまた自分シリーズです!

穏やかさと激しさだったり、誰でも二面性は持っていると思いますが、

私も激しい二面性を持つ人でした。

ここで言う二重人格は、人格障害というわけではなく、

二面性が極端すぎたということで

とらえてもらえたらと思います。

 

そんな私がどうやって変化したのか?

ぜひ、最後までお付き合いください。

 

二重人格なワタシは無意識だった

私は、つい最近まで隠し持っていた顔が二つありました。

それは、他人の前で見せる顔と家族に見せる顔。

みんな多少は違うと思いますが、私は相当違いました。

 

家庭内のコミュニケーションがまず暴言に近い日々。

父は普段無口なほうですが、キレると「俺の怖さを知らんのか〜!」から始まり、

暴力がスタート!いわゆるDVと言うものでした。

ターゲットは主に母親。殴る蹴るは当たり前。

物も飛ぶし壊れたり、割れたり。

母はそんな時は反抗しませんが、父がいないと

決まって父の文句を言う。

しかも、よく母もキレるので、そうなると暴言は当たり前。

コミュニケーションが、お互いに起こるのではなく

母から一方的に指示や暴言を受け取るスタイルなので、

私自身もよくキレる。そして暴言を吐くの繰り返し。

時には、私の暴言に母が切れて、頭から水をぶっかけられたり、

長い木の物差しで足を叩かれたり。

今振り返ると、激しいですね〜。そんな激しい私が、父暴力から母を守るために

たびたび反抗するようになってから、さらに激しさを増し、

包丁を持ち出す父を前に、恐怖すら感じなくなっていました。

 

一つエピソードがあります。

中学のクラブ活動の一環で、近くの大きな公園で

トレーニングをしていた時のことです。

突然十数人のヤンキーに、私含め4人の女子が囲まれたことがありました。

そういう時は、一番可愛い子が狙われるものですね。

もちろん私ではありません笑

一人のボス的ヤンキーが、可愛い子を押し倒し

まさかのキスを迫ってきたのです!

その時、私の般若スイッチは即座にオン!

恐怖は始めからなかったのですが、さらに冷静さを増し、

怯えて何もできない友人たちを前に、ヤンキーの腕をつかんで引き離したのです。

殴られたりしなくてよかった〜と、今更ながら思いますが、

そんな状況にならないと人前では出さない顔でした。

 

そんな激しい顔は、基本的に家の外に一歩出れば一気に豹変します。

般若の顔は一変して、天使のように!

こんなどうしようもない(と思っていた)父の子の自分が、

とにかく恥だと思っていたので、

自分が思う良い人を演じ続けました。

それは、とにかく会う人に合わせて笑顔を振りまくこと。

自分の意見は極力言わない。

言って、誰かと意見が食い違うと関係性がややこしくなるし、

誰かと意見をいい合う自信もない。

否定されたりもしたくない。

とにかくぶつからず、何事も起きないこと。嫌われないこと。

悩みもなさそうで元気な私を演じられたらマルでした。

そんな私は、表面では明るく楽しそうにしていても、

常に緊張状態でした。

存在自体、恥な自分だったので、

これ以上自分を下げるようなことはできない。

良い子に見えるかどうか、それが私の目指す自分でした。

なりたい自分ではなく、周りにどう見られるかばかり

気にしていました。

 

家に帰ればいつまた父の暴力が始まるかわからない。

願いは、家の中に平穏な日々が訪れることでした。

家の外でも緊張し、家の中でも気が休まることがない。

そんな子供時代を送っていました。

 

激しい二面性を器用に使い分けているようですが、

自分自身にとってはあまりにも当たり前すぎて、

切り替える意識をその都度するというよりも

すごく無意識的に使い分けていました。

なので、それがおかしいだとか極端だとか

感じたことがなかったのです。

 

これを、認識技術を知ることがなければ、

一生続けていたでしょう。

家族以外は、常に周囲の評価を気にして生きる。

29歳で、自律神経を崩し職場復帰ができなくなったことがあったのですが、

病気になって当然の、自分の思い方や考え方のクセがあったと思います。

 

そんな自分が変わった!

次に続きます〜