変わらないと思っていた頑固な母が 激変した①

こんにちは!認識コンサルタントの目黒真由子です。

 

テーマ別に私の変身ストーリーを綴っていきます。

 

最初のテーマは、家族。特に母親との関係性が

劇的に変化したストーリーです。

 

母は守るべき人 尊敬するべき人

 

記憶が鮮明なパートからお話しします。

私が小学校低学年の頃、母は頻繁に父からの暴力を受けていました。

そんな母を守らないとという思いは、常にありました。

なんとかこの喧嘩が終わり、平和な日々が来て欲しいと

切に願っていたのを覚えています。

 

 

そして、ちょうど私が小学校1年の時から、

母は看護専門学校に通い始め、家事と育児もこなしながら

毎晩遅くまで勉強していました。

 

この頃から、私は母に対して、尊敬の思いと、

そして、暴力から守らないといけないという思いが育ち始めていました。

 

母は私にとっては大事な母。

けれど、ちょっと愛情表現が屈折していました。

 

例えば、お手伝いをしようものなら「邪魔やからあっち行ってて!」

母の日に妹とプレゼントをしたら、「次はいらんから」

とにかく、機嫌が悪くてよく切れてましたが、切れたら「目噛んで死ね!」

 

こんなことは当たり前のコミュニケーション。

 

普通の家庭で育った人が聞いたら、「今なんとおっしゃいました?」ですよね笑

 

もちろん、母に今日学校どうだった?など言われた記憶もなく、

話をじっくり聞いてもらえた試しもない。

それが当たり前すぎたので、

その当たり前を自分の中で蓄積していったのです。

 

小学校高学年あたりから、父への反抗心は増強しました。

怖くてなかなかできなかったのですが、

父から母への暴力を止めようと大きな勇気を振り絞り、

「もうやめて!」とい言った時の記憶はよく覚えています。

とても怖かったですね。

ただ、いつしかその怖さも薄れて、怒りの方が勝つようになりました。

無駄に切れている父を見て、バカにするとともに冷静な自分になっていきました。

 

そして、私が中学3年になる頃、初めて兄が父に反抗し

父の暴力に悩まされた日々に終止符を打ちました。

 

母への反抗

 

中学の頃も反抗期はありましたが、高校に入り

さらに激しくなりました。

暴言だけではなく、バイト生活の中の付き合いで飲み歩き、

朝帰りということもしばしば。高校生ですけどね笑

勉強もやる意味がわからない。

小学生の頃から、妹や兄よりも邪険に扱われていると感じていた私は、

母に対して反抗心を抱き、自分の居場所はないと自暴自棄になっていました。

進路もどうなるかわからない。どんどん自信を失っていきました。

 

それでも、進路を決める頃になると

母が必死に看護専門学校への入学を勧めるようになりました。

母が一生懸命私に勧めてくれて、何が嬉しかったかというと

母が自分を気にかけてくれたことが一番嬉しかったのです。

 

看護学校を卒業し、看護師になった私は

居場所のない実家を離れ、寮生活を始めます。

 

実家を離れてからは、暴言を吐くことも減り、

時々しか会うこともなくなった母とは、関係性を回復したように感じていました。

 

けれど、毎回一方的に指示する母に

またどんどん不満を蓄積していきます。

 

いつしか、また会うたびに言い争いを繰り返すことになります。

 

自分のことをわかってもらえないし、無視されるだけ。

そんな不満や悲しみを蓄積していました。

 

そんな日々から、関係性を劇的に変化させていきます♪

次回に続く。。。