目は口ほどに物を言う

子どもが3人いる友達が

目を見て話さない子どもが
多いと言ってた。
お友達が来ても、 
みんなゲームに夢中。
こんにちはの挨拶も
ゲームの画面を見ながら済ます。
そんな時はもちろん、部屋の中は
静かで、ゲームをする音だけが
鳴っているから変な感じだと、
昭和生まれの私達は思うわけです。
 
ゲームや携帯が普及して、
電話よりもメールやLINE。
話さなくても会話できるツールが、
増えていく時代。
 
言葉で直接伝えても、
自分の伝えたいことと
伝わってることが違うことって
ありますよね。
文章にすると、さらに
ずれやすかったりもします。
 
言葉って、とても曖昧。
同じ単語を使っていても、
伝えたいイメージが違うことは多い。
 
大変だよねーとか、難しいよねーと
いっても、その度合いも
大変のイメージも違うはず。
 
それなのに、相手の表情や雰囲気・
何か違うという感覚的なものさえも
ない状態で、
コミュニケーションがとれていると
思い込んでいたら、こわい。
 
人って、知られたくないことも
あるとは思うけど、
本心や無意識では
分かりあいたい・認められたいと
いう心があると思います。
 
目は口ほどに物を言う
ということわざもあるくらい、
言葉以上に
目がその人の本心を表してたりする。
 
顔を見ずに、言葉だけを交わす。
それが習慣になると、
相手の表情・雰囲気・行動に
関心をもつのかな。
どこまでの範囲に、関心を
示すのだろう。
そんな中で、
関係性はどこまで深まるのだろう。
 
コミュニケーションが、
時代の変化によって
どんどん変わる。
人は、環境や社会の影響を
大きく受ける。
特に親の影響を受けやすいのは
もちろんなのですが。
子どもはとにかく
最初は、マネして真似しての
繰り返しですしね。
身近な親を真似ますよね。
 
時代が進化するなら、
人のコミュニケーションも
進化したほうが良いに
決まってる。
 
本当のコミュニケーションって
何なのかな。
考えてみたことありますか。
 
それは、観点がわからないと
永遠に理解できないものなんです。
同時に、観点固定が根本的な
原因であることがわからないと、
何も見えてこない。
 
みんな違って当たり前。
でもなんで、違ってしまうのか。
もしもみんな同じなら、かなり
ヤバイのはわかりますよね。
それは、わかるけど
じゃ、違いを超えて理解し合うとは
どういうことなのか。
嫌いな人は、ずっと分かり合えない?
 
分かりあい方を、ただ知らなかった
だけですよね。
分かり合うイメージが
そもそもない。
 
観術は、それがわかる。
曖昧にわかるんじゃなくて、
誰にでもわかるように
技術として提供できちゃうんです。
 
ビックリですよね。
 
私もビックリしました!
 
数学より、国語より、
心理学より、英会話より、
なによりも
生活する上で役に立つ。
生きる中で、スキルアップになる。
 
こんなの、なかった!ものなんです。
 
いやはや、次世代の技術は
iphone以上に度肝をぬくはず。
 
そして、私の目は口ほどに物を言う…はずですから。