欲求を超える

食べたい、寝たい、遊びたい。

キリがないほど、欲求は尽きない。
現代人は特にそうかもしれないと思う。
無限に与えられる欲求の道具。
パソコン、ゲーム、旅行…
ゲームって、人生を生きていく中で
どれほど役に立つのだろう。
楽しさ?暇つぶし?集中力?
人間の可能性を開くゲーム?
疑問が生まれる。
だけど、ゲーム好きな人には、
ゲームのない人生なんて考えられないのかもしれない。
 
つくられた欲求なのか、自らが選択した欲求なのか。
マズローの欲求五段階だと、まず生理的欲求が満たされて、安全の欲求にいく。
欲求があることが大前提になる。
確かに赤ちゃんだと、おっぱいがほしい、抱っこしてほしいと欲求だけがあるようにみえる。
言葉を話せないからこそ、泣いたりわめいたりしながら、できる限りの意思表示をしてみるけど、思った通りにいかない。そんな赤ちゃんには、どんな思いや感情が蓄積されていくのだろう。諦め?不信?
 
人間が欲求することは、欲求することで生まれる出会い。この出会いの質によっても、大きく変わるのだと思う。
イライラしながら与えられるおっぱいなのか、そうでないのかによっても、違いは生まれる。
 
マズローの欲求段階でいう自己超越までの欲求を育てるには、どうすれば良いか知っていますか?
現代人が到達している欲求の中で、安全欲求にとどまってしまうことも多いと思う。
尊厳欲求という段階も、ただ親に認められる、上司に認められる。そんな一部の価値観で認められる範囲が、人間の尊厳でもないはず。
 
因果にはまることなく、自己を超える。
エゴを超える。
本当の求められるべき欲求は
そこから始まる。
存在を超えたところから、最初の欲求はスタートしているのだから。
 
虚無的なことではなく、現実も無限大活かすために、必要な欲求の出発。
 
マズローの五段階欲求を越えたいなら、認識の変化しかない。
認識技術でしか、再現性を持って超えることはできない。
何を言ってるのかわからないですよね。
だって、マズローの五段階欲求を超えたところの話。
この先が、終わりでなくて
ここからスタートする。
無限の可能性は、ここから始まるのだと、伝えたい。
 
気になる人は、まず出会ってみてほしいな。