グレーゾーンが好きな日本人

職場の先輩が、日本人ぽくない。

何がというと、思考とか発言が。
 
とにかく白黒はっきりさせたいと言うのだけど、
日本人は曖昧さ、グレーゾーンを好みますよね。
 
先輩のお子さんが、中学1年で
英語の試験がイマイチだったと。
次回は、英単語をちゃんと覚えると
先生へのコメントに書いてたらしく。
それに対し、「ちゃんと」って
どういうこと?と質問、いや詰問を
する先輩。
目指すゴールはどこなのか、そして
そこにたどり着く手段があるのか。
ないなら、いくつか選択肢を渡すと
言ったらしく、お子さんの反応は
スルー。
 
こんなコミュニケーションとっている母親って、そうはいないのではと
思って、先輩に西洋的な思考に近いですねって思わず言ってしまった。
境界線をしっかりひいていくところが。
 
グレーゾーンが得意な日本人は、
農耕民族であるとか、協調性を大事にするとか、背景があるからこその
特徴なのだと思うのだけど、
外国人からすると理解し難いところも
ありますよね。
 
私も、以前はその違いがよくわからなくて、なんで自分が曖昧に答えたり、
言葉を濁したりするのかもわからない。そもそも、曖昧だと思ってない。
本音はあっても、言葉に出るのは
何重にもオブラートで包まれてる言葉だったり表現になる。
日本語は、曖昧な表現が多いから
実際使いやすいですしね。
 
日本人的思考・西洋人的思考、それ以外もあるけど、どちらが良いとか正しいとかいいたいわけではなくて。
ましてや、西洋人にコンプレックスを
少なからず持つ日本人にとって、
これ以上コンプレックスのネタは必要なくて。
 
お互いを理解する上でも、意思疎通を図る上でも、
私たちがどんな歴史的背景を持って、文化・教育・習慣、あらゆる影響を受けて、この考えや感情・言葉・行動なのかわからないと、
西洋人と比較するだけで終わってしまう。
相対比較ほど、辛いものはないはず。
 
西洋人になんとか対抗しようと、
知識で塗り固めても、
対立的な構造からは、自由になれないし。
同じ土俵にのって、なんとかしようとしても、ドツボにはまるだけ。
 
その土俵からも、自由になった
外からでないと、真実を見ることもできない。
 
土俵から出た外ってイメージできますか。
極端な例で言うと、生まれたときから
両親・兄弟としか触れ合えず、自分の家から一歩も出してもらえず、成人するまで
その環境を強いられるってなったら、
嫌ですよね。
なんで、嫌って思えるかって
外の世界を私たちもう知っているから。
でも、知らない人からすると、
家族しかいないのは当たり前。自分が移動できる範囲もここまでが当たり前になるはず。
 
今その状態が自分にも起きているということなんです!
???ですよね。
 
膨大な情報から、いろんなことを知ってる私たちですが、
とても大事な根本的なことは
まったく知らないのです。
人はどこから来てどこへ行くのか、
とかね。
 
そう。土台がないまま、表面的なものだけ、しっかりと塗り固められちゃってます。
 
曖昧でグレーゾーンが得意な日本人、
論理的で白黒はっきりつけたい西洋人。
どっちもできたらいいし、
そのどっちからも自由な、白でも黒でもグレーでもない、
全てを生み出す原点まで戻れること。
 
まずは、曖昧な日本人を
体験してみますか。
アトラクションのように、楽しみながら。人間の可能性を感じながら。
 
そしたら、次の次元のアトラクションへ、ご案内。
 
人類に不自由から自由を
ご案内できる、観術。
日本人が、コンプレックス(劣等感)から、プライド(誇り)を取り戻す観術。
 
未来からのプレゼントは、
あなたがどう認識するかで
変わるのです。
 
present for you all!