なんか違うを言葉にしてみる

なんか、しっくりこない。
なんか違うんだけど。。。
でも、何が違うのかもわからない。

ま、いっか。

そういうこと、私数えきれないくらいありました。

わからないままに相手に伝えること、
整理されてない形で伝えること、
それって駄目なこと、恥ずかしいこと。
相手に迷惑かかるし。
そんなことできないって思ってました。
言ってもわからないしっていう諦めも同時にあった。

たとえば、日本人にはよくあるみたいだけど、
外国に行ったとき、形として文章ができていないと
英語を話そうとしない。
ほかの国の留学生は、そんなのおかまいなしのようで。
文法がどうであれ、何を伝えるか明確でないままでも
とにかく喋る。
だから、上達も早い。

なんか、違う。
そんなあいまいなものも出してみる。

出してみたときに、周りが助けてくれるといい。
自分の中の整理されていないものを
明確にしてくれる。
だけど出された側が、面倒くさい・わからないし、時間かかるから。。。
って思ってしまったら、そこで交流も循環もストップしてしまう。

そして、なんか違うって思って出した側は、
ずっとそれが明確にならないまま、もやもやしたまま人生を過ごす。
いつもそこで滞る。行き詰まる。悩む。
悩むことさえも必要ないと思うかもしれないけれど。
同じところをグルグルし続けて、人生を終えてしまうこともあるのかもしれない。

なんか違う。
それには、とても大事なことが隠れている。
うまくいかない原因を突破してくれるカギになるもの。
うまくいくカギとなるもの。
自分自身を知るカギとなるもの。

なにか違う。

それをちゃんと明確にするには、観点を理解していないと難しい。

でも誰にでも理解できる。そして、使うことができる。

観術は、テクノロジー。再現できるもの。

観術を知ったら、悩んでるだれか大切な人たち、大切な子どもたちに
同じ失敗を繰り返させることはなくなる。

はじめから、完璧にできなくていい。
少しずつ、一歩ずつ。
まずは知ることから初めてほしいなと思う。