習慣(パターン)の変化

 
「習慣(パターン)」を変える・・・
 
言うことは簡単でも、実行するまでにいろいろ考えてしまう。
今日はやめて明日からにしようとすれば、いつまでも延期されてしまったり。
 
このブログもその道を辿ってしまっている(汗)
 
そもそも自分がどういう「習慣」を繰り返して、今があるのか。
 
その習慣を客観的にみることが必要だとわかっていても
それってそれぞれの見方でとどまってしまってはいないかと、ふと思う。
 
自分を自分のもつ客観性で見る・・・ってほんとうに客観性があるのか?!
 
習慣といいながら、実は「やらなければいけないこと」に追われていた。
みんながやってるからやる。当たり前だからやる。
そこには、自分の意志があるように思えたけれど、
ほんとうは一番なおざりににしていた。
 
いままでにもやりたいと思ったこと、自己投資して経験してみた。
自分に足りないから満たされるまでやる。
足りない人生。いつになったら満たされるのか
 
満たされたイメージも今まで得たことがないのに、どこでそれを測ろうとするのか。
 
感覚的に得られる歓喜のようなものを求めていたのかもしれないけれど、
無意識的に閉ざしてきた自分の心に本気で向き合うことなく、
自分の外から喜びを得ようとしても
感じる「心」を持ち得ていないなら
それを感じることは夢のまた夢の中にいるようなもの。
 
今までずっと自分が習慣化してきた考え方・感じ方・見方・・・
当たり前過ぎるほどの習慣を繰り返してる
 
だから、その習慣(パターン)に入ると、悲しくなる。苦しくなる。
自分でわかるときももちろんあるけれど、また繰り返す。
 
どうすれば、この習慣から抜け出せるのか。
以前の私にはまったくわからなかった
 
それでも、ずっとやり続けた。自分の特技かのように。
意識しなくてもできてしまうから、
得意技でしょ(笑)
 
習慣。それは意識しなくても当然のようにやってのけてしまうもの
だから自分では気づかない。
だからこそ、気づかせてくれる相手が必要
 
習慣。それは必ず変えることができるもの。
意志さえあれば、何者にもなれる。
 
だから、まずはほんとうの自分を知る。今の時代だからこそ、知ることができる。
 
習慣。それは、どんな観点の習慣をもつのかということ。