祖父がみた戦争

ようやく「永遠のゼロ」を観た。
 
100人いれば100通りの、その人。
観る人が変われば、同じ相手でも100パターンの
相手を存在させてしまう。
 
今回、映画を観ながら
祖父のことを思い出していた。
 
祖父は15年前に他界。
彼が、衛生兵だったということは
こどもの頃から知っていた。
 
でも、祖父の口から戦争のことを
聞いたことは一度もない。
 
2年前、ようやく祖母から話を聞くことができた。
祖母が祖父と結婚したのは、終戦後。
祖父が帰還した時は26歳だった。
 
戦時中、祖父が書き留めた日記が
残っていることも知った。
 
けれど、未だに誰にもその封印は解かれていない。
祖母曰く、それは固く紐で縛られていて、
祖母もその中身を自分の目で確認する
勇気がないという。
 
祖父が見た戦争とはどういうものだったのだろう。
 
いつか、私がその封印を解くことに
なるのだろうと思った。
 
祖父は死ぬまで日記を書き続けていた。
正しく言うなら、自分だと認識できる意識を失うまで
 
祖父は飲酒が原因で、多発性脳梗塞になり
認知症の症状が進んでいた。
 
初めて祖父の日記を見たとき、
すでに祖父に日記を書く習慣は残されていなかった。
 
最後のページに書かれていたのは、
自分というアイデンティティを失う前。
「こわい」という殴り書きで書かれた文字が
そこには並んでいた。
 
なんとか自分の意識を繋いでいた祖父が、
意識を失うと感じた瞬間。
単語だけでは表現できない祖父の思いが
私の心に突き刺さった。
 
脳が認識する世界
 
脳という機能は、簡単にいうならば
電気信号の情報のやり取りで動いている。
 
この機能を失ってしまえば、人間は
何も認識できなくなってしまう。
結局、脳という機能なしでは
どの存在とも出会えない。
 
人間はどこからきて、どこへ行くのか。
人間とは何なのか。
人類は、ずっと追求し続けてきた。
 
主体である人側がすべてを認識している。
 
でも、主体側の追及はそれほど進歩していない。
人間の外側の変化はありとあらゆる方法で
追求してきたというのに。
 
個人が抱える多様な悩みも、環境破壊・貧富の格差など
国レベルの問題もすべては、人間がつくりだしたもの。
 
まず人間を理解しなければ、
新しい方向性も道も切り拓くことができない。
 
死に対するイメージも、人々が
これまでにつくりあげてきた概念。
 
そのイメージがある限り、人は死だけでなく
あらゆるイメージ(つくられた概念)にとらわれてしまう
 
もう、今までにある中で答えを探しても
見つけることはできない。
 
人類は、新たな勇気と意志を持って、
次の扉を開けるときがきたのだと思う。