人前に立つことが恐怖から安心に変わる②

人前に立つことや、大勢の前が恐怖と緊張でいっぱいになった背景や理由は、

認識技術なくては、全く観ることのできない領域でした。

そして、このように表現するイメージすらなかったのです。

こんなことをしようものなら、また恐怖と不安に苛まれる。

そのスパイラルにはまることは、パターンの差はあっても

誰もが、繰り返しているのです。

 

病気が教えてくれたこと

私は、29歳の時に初めて病気というものになりました。

予兆はありました。

その頃の自分は、30歳を迎える前で

自分の生き方に焦っていました。

何をしても自分の自信感や達成感は満たされない。

まだ足りない、もっともっと。

看護師をしながら、カイロプラクティックの勉強に通い、

看護師の仕事では、いろいろなことを任されていくけれど、

NOとは言えない。

もっともっと・・がある限り、任されたこともやりこなして

自己価値を高めていかなければ、満足しない。

たとえそれをやりこなしたとしても、それでも満足しないのだから。

 

仕事はハードで、真夏の時期だったので訪問看護は体にこたえた。

けれど、毎日のように、眠ろうと思っても眠れない。

そして、食欲も落ちていく。

それでも、体は動いてくれた。

でも、仕事でのプレゼンを後に、体も心も一気に崩れ落ちた。

 

食事をなんとか摂ろうとしたその時に、自分の体の変化を感じた。

激しい動悸とともに手が震え、体の力が抜けていく。

息が苦しい・・・座った状態を保てず、そのまま床に寝転んだ。

30分ほど経っただろうか、症状が落ちついてきたが、

何が起きているのかわからなかった。

 

体が異常に重い。力が入らない。生気がないというのはこんな感じだろうか。

 

そのあとは、坂を転げ落ちるようだった。

経験したことのないあらゆる症状に苦しむことになった。

固形物が喉を通らない・不眠・めまい・パニック症状・震え・咳・脱力感・

ほてり感・汗を異常にかく・おねしょ・精神症状・・・

自律神経の不調をきたしていたので、

内科で検査をしても原因はわからず。

結局、心療内科に行くことになりました。

 

自分の体と心がここまで一気に変化してしまった時、

人は何をすると思いますか。

いつもしていた自分のパターンはそっちのけで、

必死にこの病気を治したいと考え始めるのです。

自分が恥ずかしいとか恥を晒せないとか思って、

良い人を演じてきた体も心も使えなくなったわけですから、

人に恥ずかしいところも見せていかなくてはならないのです。

その変化は、今思うと相当なものだったと思います。

友人や先輩・職場の人を頼り、苦しみを共有する。

しっかりと握りしめていた自分の癖(思考・行動パターン)は、

もう力では、握りしめることもできない。

するすると、自分の手から零れ落ちて行ったのです。

 

病気という形ではありましたが、

守り続けてきたものが、いともあっさりと離れていった。

それは、守っていたものが

体や心の健康を土台として成り立っていたから。

 

健康が維持できなくなった時、

人は生命の危機を感じ、生命の上に築き上げてきたものを

すんなりと手放すものなのです。

 

病気の回復とともに再現されるもの

けれど、人の思考や行動パターンはしぶといものです。

健康を取り戻し始めると、またもや自分のパターンが

むくむくと育ち始めます。

それも、知らない間に。

 

気がついたら、またやっていました。

良い人を演じて、周りの目を気にして、周りに合わせて生きる。

病気を機に、成功哲学などにものめり込みましたが、

結局、根本は何も変わっていなかったのです。

また、足りない自分を満たそうと、いろいろなことに

チャレンジをしていく。

表面的なパターンは複合的にあります。

自分は、看護師の世界とは違う出会いによって、変化を感じるけれど

実は何も変わっていなかったのです。

 

恐怖も不安もまだまだ感じてはいた。

でも、逐一感じていたら心が持たない。

外に意識を向け、変化をつくり、変化を感じ、

自分の根本と向き合うことからは

無意識に逃げてきたのです。

自分と向き合うことは、何も自分だけではなく

周囲の相手との向き合うことも、自分と向き合うことです。

向き合わないことで、自分を守り続けた。

結局何も変化していない。

 

その頃は、そんなことも全くわかりませんでした。

良かれと思って頑張っていたのに、

同じところをぐるぐるしていたとは思いもしませんよね。

 

次に続きます。