感性と感覚

日本人は感性が高いってよく言われますよね

確かにそうだと思う

でも気になったことがある

感性が高いってどうやって測るのだろう

結局は、個人がもってる

主観でしかないのではって思ってしまった私

日本人は、感性高く繊細で、勤勉だからこそ

ものづくりで成功した

でも、今の時代の日本人はどうなんだろう・・・

日本人の感性は落ちているのだろうか

それとも、こんな激動の時代だからこそ

感性は高くなってるのだろうか

明治維新で西洋を受け容れた日本

戦後は、アメリカという見えない支配によって

日本人の精神は知らない間に傷つけられてきた

西洋化された社会の海で、情報過多な海の中で

5感覚はフル稼働

手元には、どんな情報もすぐ手にすることができる

スマートフォンがある

頭の中がいつもスッキリしていることってあるのだろうか

考えから自由になっているのだろうか

そんな状況で、感性は養われるのだろうか

それでもって、日本人は論理が苦手

だってなんだかだってだってなんだもん

というくらい曖昧に表現することができる言葉も多い

個人の感覚でしかなく、うまく伝達も共有もできないことが多い

「かわいい」「すごい」「おもしろい」

なんで?って聞くと、「だってかわいくない?」

そこに理由はないことが多い

5感覚でとらえた情報を、瞬時に判断してしまう

またでてきた 条件反射!

感覚を大事にする日本人も多いけれど

感覚もなんとなくの選択

過去の経験の中で蓄積してきたクセのひとつ

どんな感覚を持ち得るか

この体をもつ自分が自分自身と思うなら

それは5感覚の脳が生み出す錯覚の世界

錯覚の中で、変化をつくろうと思っても

ゲームと同じで、ゲームの中の登場人物の意思では動いてない

ゲームの外から操作されている

ゲームの中の登場人物でとどまるのか

ゲームの外に出て、全体を俯瞰した観点から

新たな人生を築いていくのか

私は後者を勧めたい

本当の感動・幸せは外にでてから初めてわかる